牛にコーヒーを飲ませたらコーヒー牛乳がでるのかな?
子供の頃耳にした、なんとも可愛らしい発想。
でも、普段飲んでるコーヒー牛乳がそんな製造方法だったら…。
北海道の十勝にある「イイチチ牧場」で飼育されているコーヒー牛乳を出し続けて20年の雌牛、牛岡モー子さんはこう語る。
「この仕事で一番大切なのは、いつでも同じ味を保つことかしら。
コーヒーと牛乳のバランスが少しでも変わっちゃいけないのよ。」
さすがは大ベテラン、貫禄がありながらも親しみのある口調で話し始めた。
「それに、この仕事って毎日毎日コーヒー飲まなくちゃだから夜眠れなくなることも多くてね、そんなときはよく羊を数えるの。
牛が羊を数えるって笑っちゃうわよね。
コーヒー飲んではお乳を出すの繰り返し。
昔はこんな地味な仕事なんてやってられないって思ってたわ。」
若かりし頃を思い出して、すこし恥ずかしそうな表情で話を続ける。
「うちの牧場はお婆ちゃんのそのまたお婆ちゃんの代から続いてるから家族は当然わたしもこの仕事を継ぐもんだとばかり思ってたらしいわ。
でも私の夢は女子アナかキャビンアテンダントになることだったの。
もちろん家族は反対したわ。
だって、12人兄弟なのに、女はわたし1人だもの、無理ないわ。
でも、高校生になった頃、どうしても夢を諦められなかった私は、北海道の実家を飛び出して千葉の親戚の家に行ったの。
『コーヒー飲んでお乳を出すだけのルーチンワーク、わたしには無理!』って吐き捨ててね。
それからの私は夢を叶える為には有名な大学に行って英語もマスターしなきゃって必死に受験勉強したわ。
在学中だってバイトもせず、サークルにも入らずひたすら勉強して主席で卒業したのよ。
でもね…いくら知性を養っても、容姿を磨いても…
私を雇ってくれるテレビ局も航空会社も無かったわ。
そりゃそうよね…だって、わたし牛だもの…。
あっ、サークルは1年の冬までやってたかも。
雇ってもらえるどころか、どの会社も面接をする前に入り口で警備員に取り押さえられて、その後は市の保健所に保護されたわ。
…あの会社を除いてはね。」
さっきまで止めどなく流れていたヨダレがピタっと止まった。
「私が保健所のトラックに乗せられそうになったとき、『ちょっと待って下さい!』と引き止めてくれた人がいたの。
なんと、その人はわたしが受けに行ったテレビ局の面接官だったわ。
彼は警備員を説得させた後、私を面接会場まで連れて行ってくれたの。
部屋に入る前に、自動販売機で紙パックの飲み物を2つ買うと
『ま、とりあえずこれでも飲んで落ち着いて』と、その1つをわたしにくれたの。
そして彼はそれを飲みながらこう言ったわ。
『ここのコーヒー牛乳はホント旨いよなぁ!
俺が子供の頃からずっと変わらない味だし。
そこが良いんだろうなぁ。
それになんていうか、すごく真心がこもってるっていうか…
仕事で悩んだり落ち込んだときも、これ飲むと元気が出るんだよね』
彼の持っているパックには『イイチチ牧場』と書いてあったわ。
そう、わたしが飛び出してきた実家の牧場よ。
わたしは家族に向けた言葉をそのとき初めて悔やんだの。
自分がずっと地味な仕事と馬鹿にしていたものが、こうして誰かを笑顔にしていたなんて。
たとえ毎日毎日同じことの繰り返しでも、それを続ける事、積み重ねるってことが、すごく大切なことなんだと気付かされたわ。」
なんだか考えさせられる内容に恐縮してしまう。
「『ありがとうございます!』
私は彼に深々と一礼すると、面接を受けずにその会社を後にして、急いで北海道行きの飛行機に乗ったわ。
といっても家畜輸送用の貨物室だけどね。
機内食の干し草が美味しかったぁ。」
目をつぶって、その時の干し草食を思い出すと、さっきまで止まっていたヨダレがまた止めどなく流れ出した。
「北海道に戻ってからは、そりゃモー色々あったけど、今じゃ、家族みんなで力を合わせてこれからもこの味を守っていこうって思ってるのよ。」
ヨダレまみれの口でにこやかに微笑んだ。
「あら、モーこんな時間。
晩ご飯の支度しなくちゃだからこれくらいで勘弁してね。
今日は駅前のスーパーで鶏肉が安かったから唐揚げにしようかと思ってるんだけど、良かったら一緒にどう?
それにしても唐揚げってけっこう下準備が面倒よねぇ。
鶏にみりんと醤油を飲ませて育てたら下味が楽にならないかしら」
Ⓒイラストレーター トツカケイスケ